11:(旧)ブルブル日記

2004.05.15

ブルブル日記を一時引っ越します。

新居はこちら
http://amat.cocolog-nifty.com/amat/

その後、旧HPのNote機能を利用した日記が、ココログに移行できるようになり、ここに(旧)ブルブル日記として集約させました(06.08.21後記)

2004.05.14

3連荘の朝連

宣言どおりの火水木の朝ローラー連敢行。
起床、ストレッチ、45分固定ローラー、シャワー、出勤を3連荘で実行。
以前に比べ心拍が低い領域で推移するようになったのは、疲労か加齢か能力アップ。後者と思いたいが、たぶん前者のどっちか。
ペダリングスキルの低下か、右片足漕ぎが下手くそになった。効き足は右足なのに、なぜか右が変だ。そういえばレースや練習中に脹脛が攣るのも、大抵左足からだ。
3日目には少し改善されてきたので、単に練習不足か。

2004.05.12

209億ドル

2004年3月期連結決算(米国会計基準)でのある企業の純利益額が全国紙の一面記事に載った。
その企業は石油メジャーと呼ばれ、男にも少なからず関わりがある。
残念ながら男が日夜業績向上に腐心する会社はかなりの下流部門であり、ここ数年赤字か水面付近を上がり下がりしているのが現状である。為替差益やエネルギー産業という特徴に加え、地球規模の油田開発から小売まで賄うという連産構造上な問題もあるが、総額ではこんなに儲かっているとは、およそ信じられない身の回りである。
数ヵ月後にはまた大量リストラが予定されている。

2004.05.10

バキバキ

終日、腿の前面がバキバキ。階段が辛い。
そう言えば、土日の練習では足が一杯で、心拍には若干の余裕が残っていたような気がするなぁ。
比較的調子が良かった沖縄前は、ハムストリングや大臀筋のほうが疲労していたと思う。
ペダリングが下手になってるのかも?

朝ローラー

連は、ウィークデーの中3日とする。
月曜は土日で破壊されたであろう筋繊維の修復に、金曜は土日のコンディショニングのため休養日に決めた。

明日は火曜日。起きられるだろうか?

2004.05.09

週末のチーム練

男は前の晩、少しだけウキウキしていた。
心配していたGW明けの仕事も何とかなる量だったし定時には退社できた。翌日は好天の予報の上、久し振りの物連参加を決めていた。日曜は雨模様の予報なので、思いきり走れる。早めに床に付き早起きとコンディショニングに備えた。
コースは2002年から利用している実戦的な8.8km某周回ロングコースである。男にとっては些か厳しい登りが2本あり苦手なコースだ。ただそれらは比較的短い区間なので何とか乗り切れば、それらをつなぐ下りや平地区間で追い着くことは出来る。
メンバーは男より格上ばかりだが、月末のレース時間を考慮して約45分(3周回)だけは我慢して食らい付くことを目標に臨んだ。
結果は自己ベストタイムに2分も及ばない。遅い遅いダメダメだった。
少し先に周回を開始したメイン集団の少し前にコースインし、追い着かれてからが勝負の筈だったが、追い着かれる直前にサブ集団から千切れてしまう始末。
あまりの不甲斐なさに帰宅後データ解析。今シーズン最初のチーム連であったことを男は忘れていた。

翌、日曜日。前日の疲労が完全には抜けていないが、「妻の日」ならぬ「母の日」でもあり、早めの帰宅が望まれる。午後には雨も降り始める予報なので、7:30集合組みに参加し、物見往復だけをこなす。帰宅後30分で降り始めた。
男は今週から朝ローラー連を開始することにした。

2004.05.06

GW終盤

5/3:
暴風。春の嵐。
宏太のカヌー用パドルを戸田の艇庫まで取りに行く。
戸田のスーパーABなら、フィルターエレメントがあるかも知れないと帰路寄ろうとしたが、開店前で断念。
5/4:
今日は暴風で、とても乗れそうに無い。
TOJ東京ステージの市民レースが月末に迫ってきたので、ローラー連を再開した。
自転車用バンダナを自作してみた。
5/5:
家族で桐生に帰省。最初は自転車で往復しようとも考え、少なくとも往路はそうしたかったが、生憎の雨。おとなしく車で移動。
昼は田舎のじいさん(女房の父)と一度行ったことがある中華へ。ここのレディーは皆(両側大スリットの)チャイナドレスを纏っていて結構いいんです、これが。
5/6:
午前は女房とジムへ。空いていると思っての行動だが、ヤンママのオンパレードで混み気味。親父たちは今日から会社。子供らは今日から学校。なるほど世の中そういうことだ。彼女らがせっせと消費行動を再開したということは、景気が上向いてきているのか。
その後、GWを締め括るために、予報どおりに晴れてこない中、彩湖ソロ連に出た。彩湖の周回連は2003/2/28以来である。去年は10周のAT値(約165)走行目標で、およそ9'10"ラップを刻めた。
今日は全部で5周回だったが、やはり上限HR165目標で走行し実際は162-173で推移。この条件でラップが約8'30"だった。
数字の上からは、時期とコンディションは若干の差異はあるが、そこそこ早くなっていると思うのだが如何なもんでしょ?

結局8連休で自転車は4日。総距離123kmは予定の半分以下。でも、良いかなこんなGWの過ごし方も。

GW中盤

4/30:
箱根合宿の主目的は、この日、修善寺CSCで行われる「全日本選手権ロードレース」観戦。スタートは11:00なので朝連後にアルファで出掛けることにした。富士屋ホテルのロビーを自転車装束で歩いたのは、過去に何人いるのだろうか?8時前だったのであまり多くの宿泊客に見られることも無く無事練習に出掛けられた。似非合宿らしく、界隈で一番難易度低そうな、千石原、乙女峠ルートでサッと終了。コンビニで我らの応援お決まりグッズ(ワインとおつまみ。お昼のお弁当)を買い込み、ホテルに戻りいざ修善寺へ。
CSCではスタート2km地点にある、我ら市民レーサーには厳しすぎてコースに採用されない、スペシャル激坂地点で観戦。いやー、苦しんでる一流選手を応援しながら戴くワインは最高でした。
レースは時間の経過と共にサバイバル一色に。ロードレースの醍醐味は薄れるが、今の日本国内のチームでは判りきったこと。BS田代が第7回チャンピオンのタイトルを得、シマノ鈴木の順で彼ら二人がオリンピック代表となる。
この日の夕食は、前夜細沼さんが下調べしておいた近所の「天ぷらや」か「すし屋」。二人で暫く迷った挙句、最後には「漁師丼」が食いたいということで「すし屋」に決定。込み気味の店内、運良く座敷をゲットし、色々と飲んで、戴いて大満足。ここなら財布もかなり安心(前日比)で、庶民にはこれがいいやね。
5/1:
早朝より本格派が揃う、日野レーシング合宿初日に合流すべく、戸田に移動。
戸田港から戸田峠に向かい、ピーク約2km手前を西浦に下りる峠に向かう。あとは海岸線のアップダウンで戸田まで戻る。およそ30kmの周回だが、戸田峠へ向かう中盤に約1.5km程の12%ときつい勾配がつらい。2周目はここまで重いギヤで登って終了。15:00頃ひとり帰路につく。沼津港で少し渋滞したが、環8までは超順調。環8では結構な渋滞にはまり19:30頃帰宅。
5/2:
休息日とする。車のオイル交換をしようとしたが、浦和ABにフィルターエレメントの在庫無く、断念。久し振りの洗車で自転車の気を紛らす。

GW前半

日記更新が滞ってしまったが、元気にGWを終えた。
前半は好天と自転車に恵まれたが、後半は荒天も手伝い、珍しく休養となった。
4/29:
箱根プチ似非合宿。会社のGW期間限定保養所抽選に当選し、箱根富士屋ホテル(宮ノ下)を2泊無料で利用できる機会に恵まれたが、予想に反し4/30の出勤者が多く、参加者は細沼さんと私だけ。ここを利用するのは私には初めてのことで勝手が良く判らなかったが、とにかくハイソなリゾートお客様に徹し、普通より2倍の時間を掛ける位のつもりで行動し、自転車などガツガツ乗ってる場合ではないこと。等々で、上手く溶け込める感じ。またの機会にゆっくりと、お金と時間を気にしないで利用したい所だ。
初日は車業界では有名な試乗ルートで、憧れのアルファ147GTAの試乗もさせてもらう。右手シフトには慣れが必要なので上手くは乗れなかったが、太いトルクバンドのエンジンのお陰で(だれでも)比較的簡単に運転することが出来るという、現代のスポーツカーを体感できた。まさにドライブするための車であり、単なる高級な移動手段とは別格の外車であり「走る喜び」を思い出させてくれる。
ディナーは折角だからということで、メインダイニング「ザ・フジヤ」でフレンチフルコースとボルドー。一番廉価の組合せでも@15,000の出費は庶民派には大奮発だが、結構楽しめた。(続く)

2004.04.25

同級会

昭和47年新里中3年D組クラス会。37名中、23名と恩師の参加があった。

いやぁ~楽しかった。前回6年前「立志の会」以来、卒業後2回目の再会だった。とても1次会2次会では話は尽きず、3次会の途中まで。何と18:00から26:00までの長丁場。いつも会えないせいか、多くの皆が遅くまで付き合った。
僅か3年間である。中には同じ小学校からの旧友もいるが、今になれば同じ時間を過ごしたのはほんの僅かな期間である。なのに妙な一体感のもと、その後今日まで過ごした様々な人生をお互い披露するような感じで、あっという間に時間が過ぎた。

同じような年回りの子供を抱える友は、日々同じような子育ての苦労や不満を抱えていた。結婚に至った経緯や、現職に至った過程など、お互い知らないことばかりだ。

当時憧れていた君は、実は本命とは一緒になれず、今のご主人との間に三女をもうけ、それでも幸せそうだったこと。
当時学級委員や生徒会で活躍の君は、驚いたことに当時から本当は人付き合いが苦手で、今もそれには苦労させられているらしいこと。
当時も男勝りで元気だった体育会系の君は、変わらず照れ屋で、変わらず益々元気だった。
当時は気付かなかった(見る目が肥えていなかったせいもある)が、美系要素を持っていた何人かは、やはり美人系に変身(当時比)していた。
皆、紛れも無く同い年なのに、若々しく小奇麗にしているものと、相当老けて見える奴。残念ながら病魔に蝕まれたらしく、もう会えなくなってしまった奴などなど.....

またの再開を約束して、またお互いの現実に帰った。

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