
母と佑介が自分を探す前に近付く、3位争いとなった集団。(自分はセンター寄りに進路を取ったが写真では確認できない)
50km、3年目の目標は、ずばり10位未満。
今年からシニアレースとして36歳以上で争われることになったが、ホビーレーサーを36歳以上で切っても内容が変わらないのは明らか。
スタート前、綾野さんによるハンディービデオによる実況?インタビューを無理やり引き寄せ、今年の目標は?と聞かれ、迷わず「10位以内」と答える。なぜ「優勝」と言わなかったのだろうか。この消極性がこの日のレースを物語っていたのかも知れない。
このレースの走り方のポイントは?とも聞かれ「先頭を見失わないこと」とも答えた。
しかし実際は見失ってしまい、一応走る位置取りとしてマークさせて頂いた昨年の1位2位の逃げに気付かなかった。優勝者のチームメートが常に近い位置に居たので気付かなかった上に、ナカガワジャージの昨年の優勝者は常に先頭付近を走っていたので、終始20-30位前後に位置取りした自分には気付かなかった。気付いたのは国道に出る手前、他の選手の会話からだった。
ゴール後に優勝者に確認したら、今帰仁の短いが急な登りで逃げに入ったらしい。
最後、国道に出てからはもっと早くから前に出て3位スプリント合戦に賭けるチャンスは何度もあった。
5km手前のちょっとした坂では順位も上げることが出来、10位以内も実現に近付いたが、先の下りで集団のペースが上がらず、縦に伸びた筈の集団はまたひとかたまりになって結局大集団のままゴールに近付いていった。
名護球場のカーブに差し掛かる前の、いくつかの交差点通過時は前に位置取る最後のチャンスだった。
でも、出られなかった。
どこか自信が無かったのだと思う。弱気虫もあって、怖いとも思った。
ゴールが目前に迫った頃やっと進路が開いてきた。ギヤは随分前からトップに入っていて下ハンもってスプリントの機会を伺っていた。腰を上げてスプリントし始めた時には既にゴールラインを越えていた。
もし途中で逃げに気付いたとしてもそれが去年の覇者達だったから、それに便乗しなかった可能性が高い。でも逃げが視界にある内にそれを追走する小集団を自分から作れれば、もう少し違った結果があったかも知れない。
正直、過去3回の中では一番の上位入賞のチャンスだったと思う。
小さい坂も少し余力を残しつつ順位を上げ、ヒルトップからさらに踏める練習も功をなし、道中切れる不安は殆ど無かった。
足も心拍も随分残っていた。
年度 | 記録 | 順位 | 完走者 | トップ差 | メモ |
2007 | 1:21:22.6 | 21 | 305 | 0:02:06.4 | 2人逃げ気付かず。3位以降54名のゴールスプリント |
2006 | 1:22:52.7 | 52 | 358 | 0:02:34.2 | 今帰仁登りで切れ、下りで集団復帰失敗。 |
2005 | 1:17:59.6 | 32 | 347 | 0:00:24.3 | 50km初戦。ほぼ集団ゴールに感激。45名のゴールスプリント |
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