5/27 2007ツアーオブジャパン市民ロード
05/27:第11回TOJ市民ロードレース 一般の部2B
大井埠頭7.0km周回コース×3=21km(実測は約20km)
9:19スタート、快晴/微風/気温29℃
Bike: LOOK KG486, CR: 50×34T, 12-23T,
WH: Campa Shamal, TR:ヴェロフレックス22C(8.3bar)
結果:8位(29分41.920秒/3周回)、出走71名
勝ち時計:29分40.721秒(-1.2秒)
平均HR:172bps 最大HR:184bps
ラップ(5秒サンプリング計時逆算)
1周 10'25
2周 09'45
3周 09'30
レース雑感
終わってみれば千載一遇の入賞チャンスを逃してしまったレース。ダメもとでロングスプリントに出れば…もしかして表彰台。
スタートから序盤そしてゴールスプリントまで、落車回避運にも恵まれ非常に上手く走れた。心拍にも足にも余裕があって、いつもの平地レースよりはずっと遅く感じられた。逃げが決まるコースでもなく、もとより逃げられる足が無い。とはいえ…作戦通り最後のホームに出るまでは温存という男気には欠ける内容だったから、表彰台に登れなくって良かったのかも。
このレース、過去に何度も出場しているが、一般の部では集団走行に慣れていないレース経験浅い選手も多く、広く平らなコースなのに落車が頻発する。今年も道中3度の落車の危機が。
1度目は2周目のコース南端、反対車線に入るパイロンで狭められた荒れた路面の部分。左手先行者が荒れた路面にハンドルを取られたのかS字状に大きく二度三度ふらつき転等し掛かったが、ふらついた本人含め後続の一部を除き回避した様子。
2度目はこの日一番の危機。最終周の裏手JR沿いに入る右コーナー先の駆け上がり。左並行者の前輪スポーク切れかと思うような激しい金属音。やがてチューブラが輪ゴムのようにフォーク内で暴れているのが見えて、タイヤ剥離によるリム走とわかる。直後右に位置する自分の方に斜行しながら肩に触れ倒れ掛かってきた。咄嗟に右に大きく傾け逃げるが並走状態だったので2台が集団からセンターライン側にはじき出た感じに。自分を立て直そうと左に起こした反動で、傾きかけていた彼を押し返すようになった。それで彼は転倒を免れ自立した様子だが、その後どうなったかは?後ろの方でガシャガシャ音がしていた。
3度目は後続を巻き込んでのこのレース一番の落車になった模様だが、間一髪逃れた。ホームストレートに出る左コーナー手前、もう100mを切っていた場所。先頭集団かなり前方の中央付近で先行車にハスった選手が落車しそのライン上の後続が次々ガシャガシャ。自分は一列左のラインに居たのでセーフだった。位置的にはハスられたのがチームメイトだったか。この3度目の落車でホームに出たときの先頭集団は既に15名前後に絞られていて、その後の展開が楽になった。
直前の落車で集団密度が下がった先頭集団もゴールまであと1km少々。
単独で少し抜け出た選手以外は、3-4本のラインになっていて自分がマークした、最近チーム合同で走るようになった某チーム選手のケツは予想に反し伸びが悪く徐々に遅れる。仕方なくラインを外し加速して一つ前のケツに乗り換える。ここは居心地が良く足を休めながら前に近付くことができる。ギヤはたぶん50×14。間もなくラスト500m看板を通過するが、密度が低いせいか危なげなく、激しい追走も来ていない様子。単独先行者もタレてきている様子。
前にはざっと10名前後か。先行チームメイトの浅倉との差も徐々に詰まってきた。
残り100mを切った頃か、あれれこれは美味しいかも。かといって先駆けは…自分が入賞する訳は無いよな…などなどの消極性と躊躇があったがゴールが近付いていたのでラインを左に外し、コンコンと50×12にシフトアップ、最後のダンシングに入ったときは時既に遅し。ゴールラインはもう目前で2-3名を差すのが精一杯で、あと10mあれば3名は差せたかも。チームメイトの浅倉は約12-3m前でゴールし結果3位。ゴールを駆け抜けながら先行者の数を目で追って数えると6-7名、ということはやっちまったの7位か8位以下は確実と思った。
そのまま自車までもどり、ローラーでクーリングダウンしながら少し残念になってくる。普段からスプリント連をやっておかないとタイミングがわからない。自信は無かったがゴールスプリントまでは先頭集団で行くつもりで臨んだのに、何か中途半端に終わらせてしまった感じが否めない。
とはいえレース無落車記録は依然更新中であり、この日も安全にそれなりに楽しくレースをできた。
先週亡くなった山形の同級生から、生前「いつか自転車から車椅子になるなよ」と何度か言われていた。事実最悪の事態ならばレース中の怪我がもとで死亡したり、車椅子生活になることも十分考えられるスポーツ。彼は自転車にも中々造詣があって、自分で走っていたわけではないが知識も豊富だった。同窓の中では自転車の良き理解者であった筈なのに。
最小の危険リスクで最大の入賞チャンスのひとつだったかもしれないのだが、この日の安全は彼のご加護だったと思いたい。
スタート前、チームメートの浅倉と。
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