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2005.11.18

2005TD沖縄市民50km

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2005.11.13
結果:32位(1時間17分59秒633、逃げた1位からは24.3秒遅れ。2位から4秒遅れ。リザルトから45名の集団ゴールであったことを知る)
完走者数:347名(出走400名弱/エントリー403名)

機材:LOOK KG486、Campa Shamal、52×12-23、ベロフレックス・パヴェ8.0kg/cm2、1ボトル(アクエリアス)、カーボショッツライム味50gをアクエリアスで溶いたフラスコ

レースレポート
総論
結果論だが、男気を発揮する好機を伺ったまま最後まで発揮せず、スプリントでは行く手を阻まれ踏めず、進路が見えた時はすでに遅く集団の先頭から50m後方。心拍も足も残った失敗のレース運びだった。しかし前日の車による試走時から今朝まで、集団からどこで切れてしまうのかばかり考えていた。レースが始まってから多少の余裕を残しつつも道中一度も先頭には出なかった。集団を細切れにしようとした走りも自分からはできなかった。他人のそういった動きにも追従しなかったという、自信の無いネガティブな走りだった結末だ。悔やまれるのはゴール前3分の「あれ」さえ無かったら・・・どうにかなったのだろうか。
間一髪の落車にも巻き込まれず、奇跡的な立直しによって大落車の原因にもならず、終始ドキドキしたまま1時間17分のレースに没頭できたのが妙に嬉しかった、複雑な心境の貴重な体験であったことは間違いないので以下レポートしたい。

スタートまで
男にとって5年目のTD沖縄。名護をスタートゴールにするのは初体験。ましてスタート時刻が7時25分。前日入りしたホテルは、これまた初の「沖縄サンコースト」で知り合いはおろかTDO参加者の宿泊すら非常に少なそう。
4時30分起床、前夜コンビニで仕入れたシリアル、牛乳、ヨーグルト、それに持参したバナナで済ます。辺りは真っ暗闇だが、アップを兼ね6時前にホテルから自走で名護を目指す。街灯の無い区間では、後続車の灯りが無いと非常に怖い。僅かな光に反射する路肩の白線を頼りにパンクに気をつけて走る。曇りのせいか気温は高めで夏装束でも十分だ。着ていたウィンドブレーカーは会場に着くとすぐに要らなくなった。
会場で顔見知りの方々に、と言っても皆市民200km常連の兵ばかりだが、挨拶し最後のエネルギーとした大福とフルーツジュースを採っていざ召集場所へ。事前の案内ではゼッケン順ということであったが、どうやら「原則論」であるらしく、早いもん順に列が埋まっている。市民50kmの参加者は400名近いことは分かっていたので出来るだけ前の方に並びたかったが50kmには今回知り合いの参加は無く、結局中程に静かに陣取り廻りの選手や自転車を見る。明らかに目的を異にすると思われる人も少なくなく、道中の不安がよぎる。

序盤
7:00チャンピオン200kmからこの日のレースが始まる。7:15市民200kmそして7:25市民50kmのスタートである。号砲が鳴っても10秒は動けない。市民マラソンの景色に似ている。前の方から順に動き始めスタートラインまで既に15秒は掛かったか。先頭は早くも100m以上前を進んでいるようだ。凄い数の車列と自転車だが、中央分離帯側に進路をとり上位に上がっていくことにする。速度はすぐに45-50km/hにも達した。そうこうして5分も経過し取り敢えずの自分の位置を決める。暫くは完全平坦なのでここで様子を見ることにする。ざっと100人はいるだろうか。自分の後ろを見ればさらに長い大集団が着いてくる。先頭を見失わないだけの距離を置き危なっかしいライダーから離れ暫くの位置取りを細かく調整しながら進む。
風は無風に近かった。集団の速度は予想していたよりずっと速く、後でデータを見ると最初の16km平地区間平均では44.5km/hとなっていた。集団は多少不安定だが技量にばらつきがあるせいだろう。車間は空き気味なので周りが良く見え、危険回避には都合が良い。妙に落ち着いた入りの序盤だった。

序盤過ぎ
本部(もとぶ)のSPを過ぎ、コース最初の登りである大きな橋に差し掛かる。ふと、下がらないというより、ポジションが上がっていく自分に気付く。いつもなら徐々に降っていくのが普通の傾斜だ。この感覚がこの日のすべてであったのかも知れない。
橋を下って左折したところで右のプラポールに絡まった落車発生、上手くかわした。すぐにまた短い登り。ここも軽い。少し先を左折し、程なく美ら海水族館に向かう50kmコースで一番長い登りに入る。ここでも徐々に前方に上がって行けた。集団は細く長くなったようだが、先頭がすぐ近くに迫った頃、既に下りに入り「今日は切れない」を実感した。

中盤
その後も小さなアップダウンが続く丘陵地帯。どれも短く、ヒルトップが常に視認でき、そこさえ過ぎればまた下るということは前日の車による試走で知っていたので精神的にも非常に楽だ。
新里(しんざと)を過ぎるとまたコースは平坦基調となり、少しだけ疲れた足を休める。先頭集団のペースはやや落ち37-38km/hでまったりと進む。途中二人の飛び出しがあったのもこの区間だった。「行ったぞー、誰か追えっー」というよくある無責任な発言が集団から発せられたが、誰も動かない。一人はすぐに集団に戻ったようだが一人は先行を続けたようだ。
この日2度目の落車が発生したが走行ラインが違っていたので事無きを得た。さらに進むと大き目の落車が集団前方右手で発生した。これは間一髪だった。ぎりぎりかわしたと思ったが、左に倒れてきたバーと前輪が当たった。これで集団は少し小さくなったように見えたが、集団のペースは依然まったりペースで、落車で遅れた何名かも追いついてまた一団となった。
集団分裂を試みる先頭数名が細く一直線になったがこれも不発に終わったようだ。選手名は存じ上げないが、たかだやユキリンのジャージがこの時のメンバーにいたので自分も加われば良かったのかも知れないが、それどどうにかなったかどうかはわからない。ただ、皆このままではいけないとじれ始めていたのかも。
33km地点にある丘がこのコース最後の登り。斜度は50kmコース一番きついかもしれないが、見えている範囲だけの短いものだ。ここもアウターのままスタンディングでやはり前方でこなした。いつもと何が違うか判らないが、もう切れる気はしなかった。この日インナーの出番はまったく無かった。

終盤
仲尾のCPを過ぎるとすぐに国道58号に出る。ここから先はこれまでも3度走ったことがある。源河(げんか)の関門を出ていくらも進まない内に右手湾内に島が見える辺り、80km以上の選手には悪夢に近い陸橋の登り、そして下った地点にある交差点に合流するコースになっている。
残る岡はただひとつ、国道逆走開始区間の名護の植物園?前だけ。例年騙し騙し、足が攣らないように登る岡でもあるが今年は違う。足を残して迎える岡である。遠くにえんじ色の滑り止め舗装が見え、交差店内を対角に進む。いよいよという感じがみなぎる。
ここまで先頭集団で居られた不思議などもはや考えている間もなく、一時も気を抜けない。廻りも皆そのように見える。依然集団は50-60名だろうか。自分は10-20番手をこの頃の定位置としていたので、後方はあまり意識していなかったのだが感覚的にその位の数であったような気がする。国道58号に出てからは道幅も充分広く、集団に居る他の選手も皆余裕があるように見える。虎視眈々と忍者走りからのスパートを狙っているかのようだ。自分も例外ではなく、不安ながらも勝機があるのかも知れないと思い始めた。現金なものである。あれ程弱気だったのに、今は勝機を窺っている。
ここまでコースは右寄りの路肩側車線を進んでいた。いざと言う時の退避が簡単に取れるが、結果的には間違いであった。TD沖縄のコースは最後の最後に比較的大きな左コーナーがある。ここで右端にいることは不利であり、ゴールスプリントも集団センター付近から中央分離帯側の伸びが良いのだ。
予期せぬことが突然襲った。ゴール前2.5km地点、右から寄せられた。もしかしたら自分が右に寄ったのかもしれないが、半車輪右後ろの選手が右から当たる。思わず車輪が左に流れ自分が右に傾く。コースはゆるい左コーナー。一瞬落ちるかもと思った。ケイデンスデータを見ると、ペダルも止まっていたので5秒前後は踏めなかった区間が存在する。何とか立て直そうとした瞬間、反射的に右の選手にもう一度、肩から腰に掛けて当る。お互い反動ではじかれたようにして立ち直ることが出来た。後方では罵声が飛んでいたかも知れないが、何も聞こえなかった。生き延びたのがわかり、右の選手に「よし、上手い!」と声を掛けて踏み直す。少々偉そうな言い分かも知れないがこのときは本当にそう思った。ここで落車など想像したくないし、万一そうなったら後方を大パニックに巻き込んでしまったかも知れない。
そんなこんなで最後の左コーナーを迎える。遠くにゴールが見えてくる。左2車線一杯に広がった集団は緊張の塊に化している。徐々に速度も上がり緊張感はさらに高まる。両隣の選手とぶつからんばかりの車間になり、チェーン音が緊張をさらに高める。怖い。
最後の信号が見えてきた。そこからゴールまではもう100mは無い筈だった。数メートル先の中央先頭付近でスプリントに入る選手が見える。自分もトップギヤに少し前から入っているが前が詰まる。両サイドも同じ状況。コース中央にあたる左前方が延びややスペースが開く。やっと前方が開け踏むことができる。スタンディングするがもはや届かない。ゴールまでもう数十メートル。そして抜くことも抜かれることもなくゴールラインを超えレースを終えた。

おわりに
初めて市民50kmにエントリーした今年「どうして50km?」という質問を少なからず投げ掛けられ「去年80kmで足切されたから」という一番もっともらしい言い訳を繰り返してきた。正直言ってTD沖縄の市民50kmにエントリーすること自体少し照れ臭かった。しかし冷静に考えれば自分のレベルでは普段のレースは50km以下が大半であり、山岳を含む80kmや120kmなど到底有り得ない。
別のレースを比較すること自体あまり意味がないが、これまで4年連続して参加した市民80kmに比べ、市民50kmのコース難易度は正直低かった。ならば着に絡めるのかというと明らかにNoであり、優勝と32位には絶対に埋まらない大きな溝がある。
市民50kmはTD沖縄の中では一番格式の低いレースであり、ロードレース登竜門という位置付けにもなっている。折角沖縄まで時間と金を使い、普段の練習もTD沖縄を意識して練習するくらいだから、大半の参加者は120kmレースを中心に据え80kmや200kmを選択するホビーレーサーばかりである。しかしロードレースの醍醐味を味わえるのは各クラス共数十名。残りは不本意ではあろうが関門での足きりを気にしながら、厳しいコースと孤軍奮闘し続けることになる。
今後市民50kmロードを常連とする選手が増加すればコース難易度は他クラスより低いとは言え、レースをコントロールし確実に勝利に導くことは、より困難を極めるだろう。もちろん200kmでそれを実践する方が何十倍も厳しいのは明らか。しかし200kmでやりたくても出来ないホビーレーサーの方が多いのも事実。ロードレースの醍醐味は決してエンデューロレースやHCでは無い筈であり、そんなことをあらためて気付かせてくれる良いレースであったと思う。
TD沖縄の実行委員の方々、沿道のボランティアや島民の応援。50kmも120kmも200kmも素晴らしいレース運営であり毎年感謝に耐えない。市民50kmも立派なTD沖縄の一戦であることをあらためて伝えたい。
気取りや誇張も多いレースレポートになってしまったが、自分が肌で感じてきたレースが一人でも多くの仲間に伝われば嬉しい。皆でTDO市民50kmレースも、もっともっと盛り上げようではありませんか。ご意見お待ちしています。
2005.11.17記

戦い終わって
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次年度以降の沖縄参加への大きなヒントになりました。楽しく拝読しました。

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