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2004.12.18

2004ツールド沖縄

苦節4年目のツールド沖縄。今年も無事終了した。「無事これ名馬」を地で行く男としては上出来か。
あまりに無難な走りが災いしたか、最後の足切り関門である「源河(げんか)入口」を通過規定の12:40を僅かに遅れ、オーバータイムのため通過できず。80km、120kmコースでは最もツールド沖縄らしく、そしてそこまでの苦労が最も報われる、残り約12kmに及ぶの閉鎖国道区間を残しての本当に残念なリタイヤとなった。
公式結果

市民80kmレース(宜名真-名護)
2004結果:DNF (棄権)、完走174名/出走 ?名/エントリー263名
2003結果:100位(完走)、完走142名/出走 ?名/エントリー220名
2002結果:104位(完走)、完走129名/出走177名/エントリー194名
2001結果: 55位(完走)、完走 70名/出走103名/エントリー118名

2004時間:2時間42分、源河入り口関門で足切り
2003時間:2時間52分46秒1、トップ2°25'08”から27分38秒遅
2002時間:2時間53分45秒4、トップ2°22'09”から31分37秒遅
2001時間:2時間51分55秒9、トップ2°23'10”から28分46秒遅

宜名真(ぎなま)スタートが10:00ちょうどだったから、2時間40分で71km地点に到達出来なかったのだから情けない。正直なところ今年も完走は堅いと信じていたので完走は目標ではなかった。少し厳しい個人目標かもしれないが、2001年初参加での自己記録(2時間51分55秒)の10分超短縮を狙っていた。目論見では、まず普久川8kmの登り区間で2分、高江のアップダウン区間で3分、源佐次(げさし)から源河の登りで2分、最後の平地で2分短縮で合計9分。出来ない相談では無かった筈だが、取らぬ狸の皮算用とは正にこのことである。

今年はマイレッジ特典チケットでの前日便は確保できず、初の金曜入りとした。今年は「チーム物見山」からの参加者が少ないので、日頃チーム交流の深いポンズツアーに同行させていただくき、金曜は福島さんと行動を共にした。土曜日入りの飛行機よりはかなり遅めに那覇に入り、ミニバンレンタカーを借り、道中翌日の宴会会場「海物語」を訪問予約し、いざ奥間へ。JALプライベートリゾートオクマでは翌日から同泊メンバーの自転車3台を仮組みし、自分達の自転車も組立て後は試運転程度で日没を迎える。皆の梱包材をミニバンに押し込み、この日の予定を終了し二人でBBQディナー。

翌朝は朝飯前に試走を兼ねて海岸線を北上し、与那から普久川を登る。分岐から7.7km地点の実質ピークで折返し、路上の応援ペイントなどを撮影する。逸る気持ちを抑え、出来るだけゆっくり登ったが調子は悪くない。朝食後、前夜積み込んだ梱包材をゴール後の宿、恩納村の「かりゆしビーチリゾート」へ搬入し、後発の皆とポンズ馴染みのレストランで待ちあわる。程なくツアー全メンバーと合流し、皆で昼食。そして名護ゴールの受付会場へ。ここで市民200km組の奈良、滝山と別れ、後発が空港から借りてきた小型車に乗り換え、福島、崎村、山本、川口と5人で奥間に向かう。念願適って初参加の川口の為に、普久川ダムまでコース下見と、120kmスタート地点を案内した。

前夜はオクマジム前のツインルームであったが、この晩はフロントから遠い5人コテージであった。毎度毎度の慌しさの中で当日の朝を迎え、それぞれが決められた段取りを淡々とこなし、スタート地点へ向かうバスへ乗り込む。天気はとても良さそうで、レース日中は25℃を超え暑くなるらしい。これまで毎年自己補給が上手く出来ずに、ハンガーノック気味でゴールを迎え、ゴール後にも食事が採れず苦労したので、今年は夏以降の練習でそれも考慮してきた。特に定峰白石周回連などで、その効果を試せたのは大きかった。バナナを一本、カーボショッツ3本は専用ボトルに入れて水割り。参加賞のパワー何とかもポケットに忍ばせ、ボトルにはスポーツドリンクを水で割り、クエン酸を足したもの一本でスタートし普久川の補給で水を一本追加することに決めていた。さらに早朝の朝食からスタートまで、相当の時間を持て余すので、ここでもバナナを一本採ることにした。
などと書いていると、たいそうな結果を期待してしまっていたのは自分自身だった。何事にも慣れは必要だが、不慣れからくる緊張感や集中力も、もともと実力の無い者が実力以上の結果を出すのには必要なのだろう。かくして4年目のレースは絶好のレース日和の定刻に始まった。

今年の80kmエントリーは260名を超えていたらしいが、序盤の海岸線は前々にいるのが鉄則だし、スタート後のハイペースに不安は無いので先頭から30-40位以内で淡々とこなす。格下レースで良くあるように、罵声というか、大げさな注意喚起が多い。前方でボトルを落とす奴が多いのも気になる。一度は避け切れずにフロントで乗ってしまうが当然大事に至らず。速度は例年より幾分早く、与那の分岐までは過去最速で2分弱貯金を稼ぐ結果となる。位置取りのせいか、ここまでのダメージは殆ど無い。登りに入ってもペースをそれなりに維持でき、例年のようなごぼう抜きの目には合わない。直前の落車で、ほぼゼロスタートの場面もあったが、前日の試走で刷り込んだコースも余裕として感じる要因か。

分岐から7.7km地点のピークを過ぎ、普久川ダムへの下りでは当然ノーブレーキで攻める、70km/h超も記録し橋には崎村の番手で入る。彼は練習不足で調子は良くないとのことだった。去年はスタート以降ずっと後方に追いやって、その後ずっと見ることは無かったが、今年は去年よりはずっと走れているようだ。彼が本調子なら絶対に付いていけない相手なので、この日は彼を目標にすればこの後の展開は全く変わっていたかも知れない。普久川の補給区間は結構な登り返しであるが、不運にも市民200kmでパンクリタイヤの「こたやん」からボトルを受けたり、チーム名で呼ばれる暖かい応援を受けたりして乗り切る。ここまで貯金は約2分(後日ポラールデータ解析による。以降同じ)まで増えていた。

さらに大きく下りこのコース(自己比)鬼門の高江区間への登りを迎える。ここは距離は2km弱と短いが、見た目よりも急勾配(だと思う)でコース中の平均速度が最も低い区間でもある。今年はここがすべてだったかも知れない。高地に上がったところで貯金を一気に払い出し、借金までする始末。続くアップダウンではここのダメージが残り、全然走れない。坂の途中まで先行の崎村が遠くに見えていたが登り切ったら見えなくなっていた。とにかく足が回わせない。10人ぐらいの束でどんどん抜かれる。抜いていった奴らが視界から消えるのが早い。焦る。

やや持ち直した高江CP通過時の借金は約8分に膨れ上がっていた。東のSPを過ぎた海岸線では両腿が同時に攣りかけていた。それでもまだ源河12:40には届くと思って騙しながら先を急いだ。源佐次(げさし)の補給で水とスポーツドリンク(SAVAS?)を貰い、今年も最後の登りに辿り着いた。結局コース第2の鬼門、源河の3段目ピーク通過が12:40で、ここまでの借金は約15分となり、いよいよ自己破産か。2分ちょっとで坂を駆け下りたが、やはり源河入口関門は定刻で閉ざされていた。海沿いの国道は交通規制解除待ちの車で渋滞していた。この先ゴールまでは走りきる自信はあるが、幹線道路を片側閉鎖しての公道レースだからここでの足切りは非常に残念だが仕方ない。

大会ボランティアからシークヮーサードリンクをいただき、本当にリタイヤになってしまったことを受け入れた。力が抜けていくのがわかった。自転車回収を大会役員に任せ、用意されていた回収バスに乗り込み、何とも打ちひしがれた気分でゴールに届けられチームメートと再会する。

記録は兎も角、今年のレース中の平均HRは175bpmにもなっていた。普段の練習やDクラスレースではこんな高負荷で長時間の追い込みは出来ていない。この辺りが、あるとすれば改善の余地なのだろう。レース前の減量も比較的上手くいったが、意識した減量は2週前までに終了しても体重が短期に戻るというような問題はありえないことがその後の推移で良く分かった。はてさて来期はどうなることやら、レース終了後約1カ月が経過したが、無理をしないで気合を抜いて乗れる時にだけ乗ることにしている。

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