2004年を振り返って
皆さん、今年もお世話になりありがとうございました。
まず、2004年の大晦日をこのように読者の皆さんと共に無事迎えられました。
振り返ってみれば今年も色々あったのでしょうが、その時その場面では結構な一大事と思えても、過ぎてしまえばそれほどでもなかったようで、ぼっーとしていれば、忘れてしまいそうなことばかりだったのだから、まずまず大過なく過ごせたのでしょう。
この日記の大きな目的である「自転車」から。
・乗っていた時間:200時間21分(2003は280時間)
・走行距離:4,258km(2003は6,374km)
・レース数:7戦(JCRC4D、5Z、TOJ東京、大宮バンク、陸前高田、TD沖縄)
・JCRC年間ポイント164点(D-46位)
いずれもここ3年間で一番少なかった。JCRCでの昇級も無かったのに、DNF(途中棄権)は2戦も。チーム練のお陰か、成果は結果には表せなかったが加齢による衰えより、むしろパワーアップの実感がある。練習やレースの後で全力を出し切れなかったと感じること然りで、余力を使い切れずに終えてしまった感じが強い。
全99回のライドでは、うち31回もがローラー練で総時間25時間36分。内8回は3本ローラーで距離は178kmにも達した。それがどうしたという訳でもないが、記録を整理したらそうであった。
一番大事な健康では、
前年末に左目に網膜裂孔と診断され、失明の危険も告げられ、これは一生の一大事。レーザーによる手術を3度受け、幸い経過は良好であるが、残る右目も予備軍として経過観察を続けている。その他では先週風邪をひいた以外は至って健康であった。
仕事面では、
年初から新しい職場、責務での異動が海外の上司から告げられ、2月にはそのためにメルボルンまで出張に出掛けたが、帰国後すぐにもとの部署に戻され、以降異常に忙しく今日まできてしまった。営業成果もそこそこ出せたが、慌しい9ヶ月であった。
これまで合併以降ずっと世話になった上司が年末に早期退職で会社を去った。彼の前ではしばしば良い部下でいられなかったが、世話になったことは少なくなかった。
家族
皆それぞれに頑張ってくれた一年であったと思う。女房は言うに及ばず、本当に今年もよくやってくれた。
長男には途中相当心配させられたが、見失いかけていた何かを取り戻してくれたかのように見え、卒業までの大変そうな実習も年末に消化し、少しほっとしている。春には卒業だが、就職という難関が待ち構えている。
次男は大学進学も決定し、推薦合格も取り付けた。国公立でも、優良有名校でもないが、本人が永く希望していた学科なので、4年の内には何か掴んでくれることだろう。
三男は軟式テニス部でこれまた忙しく過ごしていた。3番手をレフティーで務める一群のメンバーでもあり、責任と自覚がわかり始めたように見える。
来年はこうしたいというような気概はあまり無い。今の家族の生活を守るのが一番大切で、その為に仕事も狙った成果を出さねばならない。自転車との取り組み方は特に考えていないが、たぶん今年より手を抜くこともなく、やめることもなく、しかし大きな目標も持たずに楽しく継続できればと願う。
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書いてしまった事は消せるけど自戒の念を込めて。
「優良有名校」なんて書いてしまって本当に後悔している。有名校が何なの。難関校合格が子供の幸せなんて絶対思っていない自分なのに。それと、実際幸せ(そう)でない実証もたくさん知っている。
世間体や見栄で意見したら努力した息子に申し訳ない。
Posted by: ちち | 2005.01.06 11:44 PM