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January 2004

2004.01.31

インフルエンザ その2

末息子が被患?した。

2週間前に女房が苦しめられたのと同じ型らしい。今回は家族用の予防薬(抗生物質)が処方できないらしい。予防薬の同処方は1ヵ月以内での繰返しは禁止されているとのこと。


「被患」って誤字か?どんな熟語の誤使用だろう。辞書を引いてもこんな言葉は無い。たまたま以下引用の故事を知る。

***転載始め***
疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知(し)る

はげしい風の吹くことによってはじめて、風にも吹き折れぬ強い草が見分けられる。転じて、苦難や事変に遭遇してはじめて、その人の意志や節操の強固さがわかるというたとえ。逆境を通してはじめてその人の真価がわかる。転載:故事ことわざの辞典 小学館 1986.

2004.01.30

まったく懲りない奴

去年の6月11日の朝、駅に向かう通勤途上、赤いGIANT-TCRみたいのに乗るチャリ通の左巻き込み事故の目撃を書いた。

今朝、同一人物と思しき奴は、あの日とほぼ同じ時間に同じ場所をかなり飛ばしている。それも「ノーヘル」だ。車に対して威嚇して乗車しているようにも見える。

8:30勤務開始の日はいつも同じ時間帯に歩いている区間。ここ数ヶ月は見掛けなかった筈なので、事故後のチャリ通を再開して間もないのだろう。でもなぜまだノーヘルなのか理解できない。

2004.01.29

モンテーニュ

読売新聞、1月28日朝刊編集手帳から。

「記憶力に自信のない者は嘘(うそ)つきになろうとしてはならぬ」と述べたのはモンテーニュである(随想録)。中略
「財産の貧乏は治せても、精神の貧乏は治せない」と、モンテーニュは述べている。精神の貧乏はしたくないものである。

少しはっとして、何度か噛みしめ、読み返した。

モンテーニュ。名前は確か高校の倫理の授業か何かで聞いたことがある。男の通った高校は当時は硬派の進学(男子)校。倫理社会は3年間通して担任でお世話になった恩師の授業。確か期末試験が赤点でレポート提出で何とか許して貰った記憶がある。だからこの名前の記憶も怪しいものだ。

ちょっと調べたら、と言っても最近はキーボードを叩けば、ものの数分で色々な情報が得られる。まったく便利になったものだ。
「モラリスト」や、この引用された「随想録」がモンテーニュを語るには切っても切れない KEY WORD であることを初めて知った。

「私は何を知っているのであろうか」
「個人の場合でも公の場合でも,もっとも間違った意見を生み出しているもとは,自分が自分について抱くところのもっともよすぎる意見であるであるように思われる。」
「私は自分を平凡な人間だと思っている。ただそう思っていることだけだけが,人とちがうところである。私はもっとも低級で平凡な欠点をもっているが,私はそれを隠しもしなければ申し訳もしない。私はただ自分の価値を知っていることだけを,自分の値打ちだと思っている」

16世紀に書かれた「随想録」。今日でも多くの示唆を与え続け,社会のなかで,人間の判断基準として生きている・・・・・気がする。

2004.01.28

仕事が面白くない

新組織で年が明けて、早一ヶ月が過ぎようとしている。
幸いにも色々な仕事があるが、どれもこれも難しいものではないことは、先週の月曜日に書いた。

最も大変なのは男がここ1年以上リードし実行してきたプロジェクトの残務引継ぎだ。引継ぎといっても、もはやプロジェクト的残務は残っておらず、ランディング期であり、あとは定着と安定を見守れば良い。男にとっては目を瞑っても出来る仕事ばかりだが、初めての方にはそうでもないらしく、相当なストレスになっているとのこと。業務マニュアルも大筋では作成してあるが、細かい所はやはり説明が不可欠だ。これが結構面倒で、全部教えるくらいなら自分でやってしまいたい。

男は日夜サポートする営業部隊の業績向上に貢献するのが永年の変わらぬ責務だが、どうやったら、彼らにもっと稼いでもらえるのか?少し前の環境に比べ、レベルの明らかに低い、経験の乏しい営業担当ばかりではどうしようもないという気が先に巡ってしまい。半ば失望感で、男の仕事にも近頃は達成感など微塵もなく、面白くない。

給料と職場の確保のためだけに、大変そうに、忙しそうに過ごしているに過ぎない。

後続電車の遅れによる停車?

男は、毎日片道1時間、京浜東北線の北方区間を利用している。

ダイヤ通り運行の場合、乗換駅で発車時間までの余裕が有ると長めに停車するのは理解できるが、
「後続の電車に遅れが発生しているため、この車両はこの駅で暫く停車します。お急ぎのところ・・・・」は到底理解できない。

先に乗車して、その先の乗換えを見込んでいる人も多いと思うのだが、なぜこのようなことが許されるのだろう?
電車運行に詳しい方がいたら、どんな正当な理由があるのか教えてもらいたい。

2004.01.26

初ローラー

日曜の午後、今シーズン「初ローラー」に乗った。
ぴったり1時間じっくり、まったりと。
4500回転位は回したので、実走距離に換算すれば約30kmか?

そのせいかどうか、今朝は太股上部内側の筋肉と右尻が少し痛い。

後日編集:
上記は大間違い。簡単な計算すら出来なくなったか。悪いのは目だけにしたいね。
ゆっくりまったり1時間ローラーで30km換算になること自体おかしい気付かねば....
およそ38×17ギヤで23Cのタイヤだから、クランク4500回転でタイヤ10,000回転。距離換算で21km前後が正解でした。

2004.01.25

新年最初の運動は「水泳」でした

そろそろ何もしないのは不味かろうということで、頭部を激しく動かすことの無い「水泳」に行った。
自転車の代わりに水泳を薦めてくれた、しぶや先生と一緒....の筈は無かった。土曜の午後、ちょっとした空き時間が出来たので気が変わらない内に即、車でGO。歩いても7-8分だけど、帰路が寒いと風邪引くので...

前回泳いだのは去年の今頃が最後だったか?
去年は「与野市民プール」。そして今年は「下落合プール」。市政が変わり名前が変わっていた。それに伴い営業時間の変更もあるようだが、基本は変わっていないが、毎正時10分前が強制休憩時間に、ビート板の貸し出し無しに改悪されていた。使用禁止でなく、持参ならOKとのことであるが、今どきマイビート板なんて聞かないね。

結構泳げるじゃん。
300mアップ+100mウォーク+300mコンビ+100mウォーク+200mのキックとコンビの弱め25mインターバル+200mクーリングダウン
休み休みで45分間。2004シーズンの初連は1200mの水泳から始まった。

2004.01.23

ハンバケ、そして網膜裂孔 その7

このところ週末は眼科通院。
先週は受付時間ぎりぎりの18:30に入った。他意は無かったのかも知れないが、ひとりのアシスタントが「松井さん、出来るだけ18:00頃までにお願いします」。一瞬「それはないでしょう!」とむっとしたが、ひとまずガマン。しかし、またしても最後の患者になってしまい、男が帰れば終業の雰囲気が院内に漂っていた。何たって散瞳剤の効きが悪いから。

今日は所用があって15:30頃までに新宿に行かねばならず、その後通院すれば先週の希望に沿える。15:00に会社を出れば良いが、フレックスのコアタイムは10:00-15:30。仕方なく午後半休(ハンバケ)とした。
ハンバケとは言え、8:30から勤務し昼休みも取らず13:00まで労働し退社。少し早いので千駄ヶ谷の「なるしま」に。ここで信頼の店員、小畑君との会話で驚ろかされた。彼の周りにも最近、網膜剥離や裂孔の話が2件あったらしい。もっとも剥離の方は外部衝撃が原因らしいが....もしや網膜疾患は自転車との因果関係が深いのか?どなたか眼科医本人またはご懇意の方、教えて下さいませ。

店内を物色したが購買意欲湧かず、ポラールの新型チェストセンサーだけを買い求め、徒歩で御苑西縁を30分歩き目的の三光町ビルに到着。予想外の混雑であったが所用を済ませ、自宅近くの主治医の眼科へ移動。

術後の経過は良好で、大分落ち着いてきているらしく、次回から2週間置きの通院に緩和された。自転車と布団の上げ下げ自粛は未だ継続で残念だが、頭部の動きや振動の少ない水泳はOKなので、そろそろ水泳、固定ローラーを始めようかと思う。

2004.01.21

でぶでぶ

でぶは自分も他人も原則嫌いだ。
唯一、若い女性の場合に限り、その性格は好きだ。

TD沖縄までは、ほぼ毎週のように自転車に乗っていたが、その後頻度を下げ、JCRCの最終戦も終わり、12月の湯河原合宿を最後に、年末の眼科起源禁止令以降は全く乗っていない。
風呂上りに体重計に乗ってもあまり体重増加は無く、ほぼ65kg前後を保っていたので、好きなものを好きなだけ飲み食いしてきた。

ところが、今週になってスーツパンツのウエストが少しきつく感じるようになった。どうも総体重はそれほど変らなくも筋肉量が減って脂肪が腹部に溜まってきているようだ。このスーツは去年の痩身時、他のスラックスは今年の、さらに皆痩体系時に買ったものだ。

筋肉と脂肪の密度は違う筈だから、僅かな筋肉量低下に対して多くの脂肪がついて収支が合っているとしたら大問題だ。減らすのは大変だけど、付けるのはこれほど簡単なのか。

2004.01.19

初休暇の予定であったが

通常通り、出勤に変更した。
新組織に換わり、結構色々な仕事がある。どれもこれも難しいものではないが、男が居ないことには仕事にならない。
なんて言ったって社員が一人なんだから仕方ない。

2004.01.18

CASATI 復活の日

予期せず「自転車禁止令」が綺麗な女医さんから発せられ、早3週間。
昨今は暦通り厳寒期、ほんの少しだけ嬉しい。でも年末年始は自転車日和が続き複雑な心境だった。

LOOK KG486を投入して以来、パーツ取りと化しベランダに放置(本当はLOOKが包まれてきたビニキャップシート大袋で厳重保管)され、女房が洗濯を干す度、取り込む度に同情の眼差しで見守られてきた。

486は最新鋭のコンセプトと風体の現、実戦投入フレンチバイク。CASATIはいかにもイタリアン。伝統を残しつつ、当時のアンチ軽量アルミフレームのトレンド、超軽量クロモリ、コロンバスFoCoパイプのラグレス、フィレット蝋付けや、インナーシートピン+シフトワイヤー内装といった凝った作りで、その上パール塗装の発色が素晴らしい、男が一目惚れし1999末に購入したバイク。

不足していたパーツを恒例タキザワバーゲンで仕入れ、本日完全復活となった。新車納品の時、ハンガーネジをタップでさらってもらった時に不注意に痛められたリヤインナーワイヤースリーブもメーカーから送付してもらったスペア品に交換し完全復活。バーテープの柄合わせも今回でコツを掴みほぼ完璧な仕上げ。

乗るのが楽しい一台が復活した、記念すべき日になった。さらに「らしい」雰囲気を醸し出すのにノンカーボンモデルのカンパ10Sが欲しくなった。

2004.01.17

網膜裂孔 その6

定期検診は金曜の夕にした。

土曜の午前も良いのだが、流石に込み気味で午前中がつぶれ易い。それより自覚症状もその後変化無く、安定しているように感じる。もしかしたら自転車解禁が出るかも?そうすれば明日の「甚五郎」にも参加出来るかも。

術後の経過はかなり良好で、最初に手術した孔など、まったく先生の心配の外で、今や彼女の注目は後から見つかった2個めの孔、年末年始と2度に分けてレーザーを撃った部分だ。

経過良好でもまだ術後2週間ということで、もう一週間はおとなしくしていることになった。

ぼちぼち医療保険の請求の準備を始めたが、20数年旧明治生命に加入して初めての保険金請求だというのに、明治安田に合併した弊害か、著しく営業サービスが低下して居り、憤慨。我社も外から見ればこんな風に見えるのだろうと、反省しつつ、真面目に長期総合タイプの保険に終止符を打とうか考え始めた。

2004.01.15

新年会

旧出身会社のOB新年会に現役続投社員として参加した。

4社合併以降、男と出身を同じくする現役もはや10%を切り、100名に満たないと知った。男は転職組なので、生え抜き比率はもっと少ないことになる。

懐かしい顔と、当時も顔しか知らなかった、そして今夜もまた知るには至らなかったOB諸氏との久し振りの懇談で、予定の2時間があっという間に過ぎた。

皆退職後も元気そうだが、再就職組は少なそうだ。退職金と失業保険でやっていけるのだろうか?

2004.01.14

1/12 成人の日

男の成人の日は昭和52年のこと。当時はアルバイトとカートに明け暮れ、確かその日(当時は1月15日の固定祝日)もカートの練習に猿島サーキットに出掛けたと記憶している。なので当然式典は欠席した。
個人の誕生日に関わり無く、あらためて「成人式」というのもしっくりこなかったし、成人式の持つ意味も男には極めて曖昧だったので、内祝いも不要、スーツも不要、式典にも出ない、と事前に家族には伝えてあった。

それからあっという間の27年が経過し、今度は男の長男が成人式を迎える段になった。当の本人も「成人式」に対して当時の男と同様な気持ちを持っている旨伝えられたが、祖母からの御祝儀もあり、記念すべき良いきっかけだからここでスーツを用意して式に臨むことを薦めた。残念なのは小学校が相模原、中学が川口で、唯一は高校は市内だったが、同窓生に会えるチャンスは非常に少なく、男の転職が大きく影響を及ぼしてしまった。

県内最大規模のさいたま市の成人式は、さいたまスーパーアリーナで開催。新成人約12,000人のうち7,700人と、同伴家族2,000人(我が家は欠席)が出席。市長が「世界に目を向け、広い視野に立った真の国際人になってほしい」とあいさつ。浦高出身のミュージシャン、タケカワユキヒデが、自らプロデュースした市歌「希望(ゆめ)のまち」を披露したらしい。

夜の部は、偶然この日に予定されていた「チーム物見山」の新年会@新宿に二人で出席した。

2004.01.11

網膜裂孔 その5

昨日は(定期)眼底検査。

眼底検査(水晶体、硝子体越しに強い光で眼底を目視や写真で検査)は術後経過診断に必須だが、時間が掛かる。普通は視力、眼圧検査が先行されるので、その後、散瞳剤を点眼し瞳孔を開く。
男の場合、この散瞳剤の効きが弱いらしく、大きく開かないと検査し難い位置(左眼のたぶん耳側斜め上方?)のため、30分近く掛けて最大限まで虹彩を開く。

レーザー光凝固の経過はかなり良い状態になって居り、今回は先週の術後痕もきれいに見えるらしい。光凝固というのは、もともと物理的な拘束の無い網膜をレーザーによる微小な火傷点を作って止めているいるようなものと理解している。

視力の違和感は殆ど回復し、飛蚊症も殆ど気にならない程度になっている。視野欠損(男の場合、左眼で鼻の先端方向が見えなくなったら、この裂孔起源による剥離の可能性大)も無い。ただ、自転車を(外で)乗るのは予期しない振動や落車(先生は、当然「転ぶ」という表現を使う)によるリスクが大きいとのことで、向こう1週間は原則禁止だ。

2004.01.08

子供の成長

女房が寝込んだなんて何年振りのことだろうか?

発熱後2日目だが、時々高熱が続くのでしんどそうだが、こればかりは本人に頑張ってもらうしかない。もし男だったら、ヒーヒー悲鳴を上げて女房に泣き付いていることだろう。

これまで、三度の飯の支度は何とかなっている。こんな時、子供らの成長を実感する。男は朝飯担当で、夜は子供達がうまく分業している。
そろそろ洗濯物が溜まってくるな、と思っていたら洗濯機の中で多くが終わっている。きっと女房が無理して洗ったんだろう。どこに干そうか?

2004.01.07

インフルエンザA型

女房が昨夜から体調を壊している。大人にしては高熱だった。

朝になっても回復の兆し見られず、今日まで休みの佑介に通院と介護を託す。通院でインフルエンザAとの診断が下され、家族全員の薬も処方されたらしい。

出掛けには、三男の様子が少しおかしかったが.....大丈夫だろうか?

男の場合、今のところ症状は無い。まさか一家全員感染はしないだろうが.....やばいかも。

2004.01.06

新しいステム


自転車は自粛中だが、いじりまわすには問題無い。

CASATIがベランダを暖め初めて早や半年が過ぎる。後輩のLOOKが期待通りの良さだったことも有り、出番が無い。

CASATIにはLOOKと別の良さがプンプンしているので、隠居には早い。ただ、パーツ移植で乗れなかっただけ。不足はステムとバーなので、パーツのやり繰りが出来るように、恒例「タキザワ」バーゲンで購入。

特筆はITMのフォージド・ライト・カーボンステム。LOOKのベストポジション用に100mmとした。実貫152gは普通より少し重めだが、ボルトと1"スペーサを除くとなんと、114gの軽量に。別途チタンボルト(M5×20、M6×16)に換装すれば....130g台は可能か?

チタンボルトはここらで入手可能。
http://www.wilco.jp/index.html

網膜裂孔 その4 要外科的手術の確立は30%

一部読者の方から、お見舞いのお言葉を頂戴していることも有り、経過報告。

12月25日夕、および27日朝昼の2回、昨日1月5日夕と4度目の通院となった。危険と言われていた2番目の孔のレーザー凝固の経過は良いとの診断であったが、(たぶん)几帳面な女医さんは、心配が全く無くなった訳ではないらしい。

念には念を入れる為に、この日3度目のレーザー光凝固法が施された。
繕い程度かと思って望んだが、またしても数えきれない数のレーザーを打たれる。この追加治療でさらに良い状態になったという説明だが、大事を取って暫く(糊が乾くまで?)は自転車禁止。頭(目に?)への衝撃禁止。布団の上げ下げ、重いもの持ち上げ禁止。仕事や目を酷使するのはOKという、何ともアンバランスなアドバイスを頂いた。

男の症状では、網膜剥離やそれを予防する為の1~2週間の入院を伴う外科的手術が必要になる確立は約30%と高値に見積もられ、一般論であった網膜裂孔→剥離の1/10000から3000倍も確率が高くなった。

今後は症状に変化が無ければ、週1回の通院検査でOK。今やるべきことはやったという感じである。最後に自転車に乗ったのは12月21日なので最低でも1ヵ月は自粛しよう。

2004.01.03

あけましておめでとうございます

あわただしく一泊帰省をした。

子供達も大きくなり、5人家族が実家に泊まること自体はかなりの困難を伴うことはわかっていたが、日帰りで女房の実家と両方をまわるのももっとあわただしい。

家族全員での正月帰省もそろそろ最後か?ということもあり、寝袋持参とした。夜中にヒーターの灯油が切れたらしく、少し寒い思いをさせた。今年は暖冬とはいえ、やはり群馬の旧家は寒い。

前回帰省時には父がデジカメを持っていた。今回は複合プリンタを持っていた。驚いたことにPCは無い!各種メモリカードが直接データ転送媒体になるので何とか使えるらしい。詳しくは聞かなかったが撮り溜めた写真はどうしているのだろう?どこかでCDRなどに焼くのか?それともカードを買い足すのか?プリントしておしまい?疑問である。父の性格からして全く期待はできないが、購入前にもう少し息子に相談してくれれば良いのだが、父は相変わらずマイペースで老後を楽しんでいるようだ。

今度は男のカーナビに興味深々。次に帰省したらまさか.....

あっという間の休暇も終焉を告げ、月曜からまたいつもの生活が始まる。去年と異なるのは新年から会社内組織に再編があり、6名の契約派遣社員を抱える責任者として新しい職務で務めることだ。

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