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May 2003

2003.05.31

5/30 新周回連コース探索その2

チーム物見山では、ほぼ毎週末にチーム連が行われる。
チーム名の由来でもある東松山市高坂の「物見山」周回(物見山山頂と平和資料館下の物見山公園は東松山市だが、コースの大半は鳩山町)をホームコースとするが、昨年の5月以降そこでの周回連はめっきり減った。

減らした理由は、コースに隣接する住民の方々との摩擦を低減したいから。コースは公道であるので、道交法を守りさえすれば法的な強制力は無いが、地域住民の生活道路でもある。ましてやそのコースを頻繁に利用する他チームや自転車愛好者(尤もサイクリングには不向きなコースではあるが)にも良く知られたところである。
「チーム物見山」を名乗る以上、地域との摩擦の芽があれば他チームと連携し積極的に摘む努力を惜しんではいけないと思うが、そこまでは到底到っていないとの判断で、暫くは無神経な逆撫では慎もうということである。もちろん我がチームは暴走行為は厳禁としているので、見る人が見れば節度ある大人の練習風景の筈であるが、集団の規模も10名を超えることもあり、速度も出ているので一般の方には脅威に映っても不思議ではない。

以前は、この定番周回コースが練習に最適であると信じて疑わなかったのであるが、練習場所を移動するとそれはそれで新しい発見がある。その後よく周回連に使用する某コースにも一部に住居域があるし、そちらも他チームにも利用されていることもあり、継続して利用するのも良くない。ジプシーのようではあるが周回コースを幾つか設定し、転戦を重ねるしかない。決して逃げ回っている訳では無いので誤解無用。

前置きが長くなったが、3本目のコース案は5/10に探索済みであったが、今一しっくりこない面があり、改めて試走することにした。

成果はあった。ターゲットにしている小さな峠を含め2本目の候補を見つけた。詳細はチーム外には公開できないが、今度皆で試走予定だ。

モチベーションは依然低下傾向だが、データからは調子は悪くない。
往路:1時間3分、平均HR=131(流しモードだが追い風なので速い)
復路:1時間10分、平均HR=134(向かい風で筋連モード。川島ローソン補給休憩除く)

2003.05.28

今週は明日でゴール

明後日の金曜は有給休暇。で、明日はもう週末。ウシウシ。
でも、雨だったら何しようか?

今週の出来事。
1)佑介と宏太が大喧嘩した。それも些細なきっかけで....でも喧嘩できる兄弟が居て良かったと思うことがこの先きっと有る筈。二人共根が深くないので関心。
2)孝仁が小学校の算数の復習でつまずき、焦っている。兄貴達がそれぞれのやり方で教えているが、教え方が今一つなんだな。
3)宏太の中間テストが終わった。
4)月曜夕刻の地震は免振ビル16階で....振幅が大きく周期が長く持続も長く、船酔いに似た感じを味わう。
5)新入社員教育。自分には結構向いていると毎年思うが、教育専門の部署や人員を配置する企業はもはや無い。
6)新調した複合プリンタのスキャナとOCRソフトを試した。結構使えそうで一安心。

2003.05.26

5/24,25の物連

5/24(土)
事前予想に反し、ゲストを含め加者8名と盛況。
殿、米谷、松井、高柳、志村(なるしま)、松村(Kイングス)、柴田(ホット)、杉本(セレーノ)
荒川CRは終始平和なペースで進む。CRを離れ徐々にペースアップ。今日は復路の高速連が予告されているので往路のペースも結構速い。メーター読みでは36-38km/hといったところ。たかさんの復調めざましくローテーションに加わり楽しそう。途中でセレーノの二人が合流。でも、杉本さんはノーヘルで我がチーム連のマナー違反。他チームの方でも合流する時は「出来るだけ被ってネ」。
志村さんの番手はさすがに走りやすい。バイクが振れない、ラインが乱れない、ペースの緩急が少ない。上手い人の後ろは走ると参考になります。最後の大東大坂もバビューンと26km/h超で登り始めたので自分はペースダウンして到着。往路1時間3分。

30分ほど歓談休憩して山に行くという米谷さんと松村さんと分かれお約束の高速連に。川島区間ではほぼ40km/hでローテーション、荒川CRまであと500mという最終区間では中切れも発生する50km/hに達し、たまらず切れた。復路57分は今期最高記録(だと思う)

5/25(日)
荒川隊:殿、宇津、佐々木、米谷、水田、松井。往路1時間3分。
物駐合流:兼古、柴田(ホット)、倉林(パイン)

亀井-日本CCロング8.8km周回ラップ記録。4ラップ目、遂に14分台に突入してます。自分の2周目も4/27の16分15秒以来のベストラップを記録。この周平均HRは167とほぼAT値。3周目は170まで上がるが維持できなかった。玉工坂と溜池坂が自分の鬼門であることに変りなし。物駐復路は1時間3分。

先頭集団(殿)-自分
1 17:52 - 17:52
2 15:43 - 15:46
3 15:51 - 12:46(S)
4 14:46 - 18:27
5 15:40 - 14:26(S)
6 15:39 - DNF
7 15:50

2003.05.23

日記更新が滞っている

今週は月曜から遠距離出張。月曜の出張は出来るだけ控えたい。その週の体調に及ぼす影響は小さくない。やはり月曜は4dayレース、アップの日だ。

火曜水曜木曜とほぼ毎日、頻繁にlostする会議(スプリンターは何時間も集中力が続かない)。お相手はSARS圏からの社員だ。マスクを持参して会議室に入るが、マスクをする勇気は最後まで出なかった。本当なら「外す勇気」なのに.....何とノー天気なTypical日本人だ。

今日はもう金曜日。4dayレースは終始先頭集団でリードした。今回はチームメート(アシスト達)2名が途中で千切れてしまった。いよいよゴールスプリントだ。

ゴール後は外せない「一献」の予定が入っている。レース結果はどうあれ、これには出席しなければならない。明日の練習に影響しない程度にしておこう。


2003.05.17

恨めしい雨、頼みの雨

休日の6:00起床は、正直言って辛い。
特に予定のレースが暫く無いとなれば尚更だ。

寝床から出るときも、49%は雨が降ってませんように。51%は雨が降ってたら2度寝ができるぞ。半ば強迫観念?

まずは天気予報をチェック。この段階ででは雨は免れられそうなので、乗ってるときの楽しい記憶を何とか脳味噌に思い出させつつ、朝食を採り、惰性で準備する。
リヤチューブがバルブ口から抜けて(Vittoriaの安売り品)しまったのを昨晩中に換えてない。(昨夜標準バルブチューブを途中下車してOD BOXで買ってきたのだった。閉店間際に殿村さんと歓談しながらチューブを買ったら5%引いてくれた)

新都心の高層ウビル群はガスで霞んでいる。
我家の辺りでは、本当に出掛ける間際7:10頃からパラ付き始め、毎度毎度の7:13スクランブル発信間際にフラミンゴ装着、シューズカバー......がなぜか見当たらないのでこちらは諦めそのままGO。

時間丁度に到着したらだれもいない.....筈は無く、管理センターの入り口前で雨宿り中の
殿、志村さん、松村さんを発見。

で、志村さんはジロツアーに備え帰宅決定。この時期普通の風邪でも発熱したら出国禁止?
私もここまでで、結構濡れ濡れで嫌になっていたので帰宅決定。

帰宅後濡れついでに、超おひさの3本ローラー。室内落車事件以来ですが、初めて自転車に乗れた後と同じで、一度乗れるようになるといつでも乗れるんですね。1時間程やっても雨は完全には上がらず打ち止め。

午後は晴れるかな?

2003.05.16

やのあさって

少し混乱させることを書いてしまったようだ。
もちろん男にはこんなことを空で書けるほど知識や記憶が有る訳でも無く、たまたま読み物で仕入れただけ。自分でも忘れてしまいそうなので.....

上方語では
あした-あさって-しあさって-ごあさって

江戸語では
あした-あさって-しあさって-やのあさって

江戸周辺では(男の故郷はこれに当てはまるかな?)
あした-あさって-やのあさって-しあさって

こう書くと「やのあさって」と「しあさって」は混乱の元になり得るのがお解りいただけたかな。

で、「やのあさっては岡山に出張の予定です」などと使うと同郷の方には判っても、東京では誤解が生ずることもあるわけです。

2003.05.15

徒然に

昨日は浜松の某機械メーカーへ出張。しかし浜松停車のひかりは、およそ1時間に1本という寂しさなので、13時のアポに合わせ10時40分頃のひかりに決定。こだまとひかりで30分も差がある。いずれにせよ、久し振りにゆっくりな朝を過ごす。
ひかり車内でこの日の出張の下調べ。今日はそれ程複雑な経緯でないのでこれでも十分な予習だ。

帰路、なぜかもの凄く強い競泳選手に襲われる。東京に近付くにつれその度合いは激しさを増す。熱海は僅かに記憶にあるが新横浜はかなり怪しい。気付いたら東京に停車していた。掃除のおばちゃんに起こされ慌てて降りた。

一昨日は「今日麩の」電話会議。クラスターマネージャーと副社長も同席で気が抜けないが正直言って、1時間30分も集中できない。何とか理解できたのは2割位しかなく情けない。会議である以上発言しなければならないことになっているが、この日は.....。
あー嫌だ嫌だ。どんなに勉強しても、電話会議だけは技量向上が難しいと本当に思っている。

ところで男の故郷では、明後日は「あさって」。明々後日は「やなあさって」正しい音は「やのあさって」らしいが、明々後日の次ぐ日を「しあさって」と言っていたが、関東でも江戸語が上方語や関東語を取り入れつつ共通語化していく過程で若干の違いが残ったらしいことを初めて知り、これは新鮮な話題だった。

明けて月曜は岡山の某造船メーカーに出張予定。宮仕えサラリーマン人生で1,2位を争う嫌な、不利な役回。誰かが火消しをしないといけないのは理解しているが、そんな役回を演じる年になってしまったのかとも思う。一体どうなることか.....

火曜から木曜まで香港からのゲストを迎え、あれこれ会議に巻き込まれる予定。今回はマジでSARSが心配だ。

2003.05.12

土曜と日曜の練習

土曜
ゆっくり起きて、家族と一緒に朝食。この日は多くのメンバーがレースで不在なので、11時ごろ一人で新チーム連コース探索に。
自宅から物駐まで、1時間22分。集合地点まで17分30秒+道中遭遇のたかさんと3分近況報告。これら20分30秒を差引くと、実質1時間1分30秒。追い風参考記録としても、ソロでこのタイムは良い方。
某所新コース候補を2周、あっちフラフラ、こっちはどうか探る。結果は後でメンバーに意見を伺うことにした。
101km、4時間23分。

日曜
またまたゆっくり支度して11時。これまた超おひさの佑介と一緒に彩湖スプリント連に。西縁400mスプリント5本。向かい風で結構きつかった。
9分インターバル、ゴール速度47km/h超、110rpm超で5本消化。
息子と一緒に走れるのが、何か嬉しい。彼は昨年の群馬CSC以来で、数か月振りのことだったらしい。
39km、1時間44分。

2003.05.07

オートキャンプ

看板画像の通り、連休最後の二日で久し振りのオートキャンプ。

当初の計画では、二男、三男と3人で行く筈だった。直前になって二男が「行きたくない」心情を吐露する事態に発展し、結局三男と女房でのキャンプになった。三男には新鮮な事多く、特に設営や撤収、食事の支度など楽しかったようだ。

驚いたのは両側サイトの子供への躾というか対処法。

何のために子供を連れて来ているのか目と耳を疑ってしまった。どちらも口うるさく小言ばかりでいじめというか、言葉での虐待だ。あれじゃ子供が可哀相だし、萎縮してしまい健やかに育つことは難しいのではないか?

我家も小さい頃はそういう面が多少は有ったろうが、遊びにレジャーに来ているという意識は常に有ったし、キャンプでは最小限のマナーやルールを知らせる以外、多少のことは大目に見て自主性を尊重するようにしてきた。

世の若い家族が皆あんな風であって欲しくない。

TOJが中止に

ツアーオブジャパンが中止に決まったようだ。
5/18から5/25まで6日間6ステージで予定されていた日本ではメジャーなステージレース。中止の原因はSARSらしい。

このレース、もちろん我々ホビーレーサーには縁の無い、格式高いレースであるが、最終ステージの東京では大井埠頭で前座レースとして市民レースが併催されるのが常であった。

今年も運良く抽選を通過し、楽しみにしていた大会でもある。都内(と言っても埋立地)の公道を閉鎖して行われ、平地系のスピードレースなので男の足でも頑張れば終始レースに参加できるという貴重な大会であった。

さらに、次年度以降の開催予定が立っていないというのも気になるニュースだ。

明日からこのレースに向けた朝連も計画していただけに余計残念。これで6月末の下総までレースは無くなってしまった。

2003.05.03

連休後半

自転車三昧を続けるのもどうかと思ったが、2,3日と一泊のキャンプを企て、4,5日を物連で締め括れば最高に充実した連休になる筈だったが、キャンプを希望した二人共部活で夕方遅くならないと帰宅できないことが判明し、折角足を運んでまで予約した北本某所の公共野外施設を泣く泣くキャンセル。
では、残る3連休のどれかで....インターネット検索で電話掛けまくるが、甘かった。今でもオートキャンプはそれ程下火になっていないことを知らされた。
そもそも我家がオートキャンプを始めたのは第1次ブームの真っ只中1991年7月、今から12年も前のこと。最近になってキャンプを熱望する3男が離乳食をやっと食べ始めた頃。それから1995年までは春から秋まで色々なサイトに出掛けた。GWと盆休みの予約は3ヶ月前からが当時の常識だった。

やがて子供たちも大きくなり、休日の都合も付かなくなること多く、それにも何より、この頃から自転車が男の休日の中心になりつつあったので、自然に足が遠退いていった。世のブームも以前より下火になったと思っていた。

今回も名栗、毛呂山、越生、都幾川、東秩父と、自転車を始めてから知ったエリアばかりであるが、多くのサイトをあたったが、3連休はどこも満杯で、皆嬉しい悲鳴を上げていた。半ば諦めかけた矢先、秩父市を見下ろせる(たぶん)景観の良いキャンプ場に巡り合った。自転車で何度か通過したことあるし、主要国道を使わずにアクセスする自信がある(笑)のでここに即決した。

昨日は完全休養日、今日は明日の用意。何せテントに到ってはここ数年物置暮らし。シュラフやランタンなどBBQでは使わない用具も同様で大忙し。新調が必要だったのは乾電池とテントマットだけで済んだが、結局、連休後半はメーデーランのみの自転車一昧?と相成った。往復自走も出来るが、それをやったらいけないことぐらい判っているつもりだ。

2003.05.01

今日の物連

またまた強風の中、奈良、細沼、松井の3両編成で岩殿前物駐を目指す。今日は強め希望者が1名、金魚のウ○コ宣言2名なので、必然的に希望者の先頭固定。大東大前も向かい風強く、これは珍しい。区間記録1時間18分から見ても今日の西風は予想より手強く、先頭固定はやりすぎでした。ちょぴり反省。
強風を除けば、カラッと晴れ上がり気温も低めで絶好の自転車日和。山に入れば風は弱まるだろうという予想も裏切られ、西平までも向かい風。本日のメニューは東から順に緩くなるという3男坊坂、刈場坂峠に決定。ちなみに、ここ都幾川村大野地区の長男は白石峠、二男は高篠峠。

刈場坂を登ったのはいつ以来か、少なくとも先シーズンには記録が無い。3男でも男にはきついことに変りなし。途中、諸般の事情で奈良さんをお供に寄り道したが、白石分岐からグリーンライン合流までの約9kmを47分(も)掛けてじっくり登る。本格的に登り始め、後方から息遣い荒い自転車にバビューンと抜かれる。何と先行した筈の奈良さん、個人追込みのメニューとはこのことだった。2男高篠峠を途中まで攻めて、刈場坂山頂同時ゴールを目指したらしい。ならば、もっと上で抜かれるべきだった。道中苦しかった割に足は残っている感じが昨年までとは違った感触。

大野峠、高篠峠を経由し白石分岐で定峰下り準備をしていると「白石峠の主」が凄い形相で登ってきた。恐らく個人TTなんでしょうね、面識は無いが、物ジャージを着ている都合、軽くご挨拶し再出走。
本当に綺麗に修復された舗装路を気持ちよく下り始めた途端、工事中一時通行止めに行く手を阻まれる。待ち時間10分程度と聞かされたが「かったるいから登り返して白石を下りましょう」に決定。ここで登り返すのは去年までなら反対しただろうが、今日は少し残っているので賛成。

白石峠も全面修復ではないが荒れていたアスファルト部分はすべて手入れがされていた。国体効果でこんな山道まで綺麗になるのは我々には嬉しいが、ローリング族も知ってるだろうから、この先どうなることか。

風邪の具合があまり芳しくない奈良さんと亀井で別れ、帰路の遠回り寄り道(本日2回目)も細沼さんにお付き合い頂き、追い風基調の荒川CRを戻り本日の物連終了。

6時間52分、139km今期最長。と思いきや3/8の143.8kmに次ぐ2番目。

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