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2001.12.31

ツール・ド・沖縄2001市民80km

ツール・ド・沖縄2001市民80km
結  果:55位(完走)、完走70名/出走103名/エントリー118名
時  間:2時間51分55秒9、トップ2°23'10”から28分46秒遅れ
速  度:平均29.2km/h(実走83.4km換算)、最高/最低=68.3/8.7
心  拍:Max=184 Min=137 Ave=167
機  材:CASATI Laser2000、51×38T、12-25T
      シマノWH-7700
      ミシュラン・アクシャルプロ 23C、8.0kgf/cm2

・各区間レポート
1)宜名真(Ginama)スタート-普久川(Fukukawa)ダムCP/F
市民80kmは本島最北端の辺土岬(Hedomisaki)から下りきったところにある、宜名真港前の長いトンネルを抜けたところから始まる。スタート後は右手を海にする海岸線で、ほぼフラットな12kmはウォームアップには丁度良く、いつものJCRCよりも大きい集団で40km/h前後で淡々と道幅一杯で進む。飛び出す選手も無く、チャンピオン200kmの後続組も入り乱れての走行となるが、この辺にいる彼らはもう終わっているらしく、集団の中で休んでいる。最初の登りが始まる、与那入口に差掛かる頃には集団のスピードも50km位に上がり、いよいよレースの始まりである。

ここから海岸線を離れ、本島東岸に抜けるまで内陸に入る。ダムまでは前日に試走しているので、作戦通り足を貯め、さらに後半でふくらはぎの痙攣を避けるため、踵を下げないように出来るだけ大腿筋で登る。斜度はそれ程ではないが(少なくともシャカリキの登坂表現はかなり大袈裟である)最高点標高350mまでは約6kmの登りが続く。この間も似非山頂がいくつかあり、走り方によっては無駄に足を使わされることになる。最高点を過ぎ小さく下り、少し登り返し、大きく下りきったところで橋上を通過し、ここが普久川ダムであることを知る。この橋を渡り登り始めた右側にダム関係の設備があり、ここが120kmのスタート地点になる。

自分の周りには選手がパラパラいる程度で、自分のポジションは既に不明である。登り始めてから前方で見え隠れしていたポンズの渡辺さんも、この頃にはもう見えなくなっていた。登りを出来るだけ身軽にするためアミノウォータ1ボトルでスタートしたので、予定通り水ボトルの補給を受ける。期待通りの赤コーラボトルでちょっと嬉しい。すぐ先の最後の山頂にポンズのサポートが見えたせいもあり、スタンディングでぐいぐい始めたら、すぐにガクッガクッとなり、ふくらはぎは温存出来た反面、腿に来ている事を知らされ、この足で残り60kmを単独で行くのか不安がよぎる。

2)高江CP-平良CP/SP
普久川のFポイントを過ぎ、このコース一番の長い下りも安全とリカバリーを優先した。高低図によれば最下地点で僅かな平地区間がある筈で足の回復を期待したが、すぐに高江への登りが始まっていた。長い下りは心拍の回復には十分であったが、足の回復にはならなかった。高江への登り始めは結構つらい。後でデータを見ると、このコースでほぼ一定に淡々と登るのは次の区間で触れる、慶佐次(Gesashi)から源河(Genka)に向かう2発目の2.2kmの登り。次がこの1.6kmであろう。

この区間では殆ど一人旅で、抜かれることも抜くことも無く、数名が前から降ってきただけである。ただ、予想より早く120kmのトップが3~4名でやってきた。あろうことかチームメートの殿岡さんがいない。少しして単独走の殿岡さんに抜かれるが、2~3言やり取りしたがボーっとしていて先頭との時間差すら伝えられない。直後に殿岡さんの旧友である木下さんにも抜かれる。木下さん、見掛けよりずっと強い(妙な褒め方で申し訳無い)。

区間最初の登りが終わると、噂に高いアップダウンが始まる。いったいいくつのアップダウンが有るのか?HRデータから推定すると、少なくとも15回は下らない。上りも下りもそうきつくなく、長くない。しかし、平地は皆無に近く、ほぼ30kmの区間を15~50km/hを何度も繰り返し、この区間を集団でこなせるかどうかはタイムで大きな差になる。とにかく高江のCPがどこであったのか、HRデータの上では確認できないくらい頻繁なアップダウンである。

途中のどこかでポンズの綾野、福島さん120km組がデュオで抜いていく。何人かを引連れているので自分もお尻を借りたくて踏むが、あと数メートルが付ききれず結局不発に終わる。遊輪館の並木さんにもその後抜かれ、120km組の中に入りつつあることを知る。そういえば加藤さんはどうした?

ゼッケンを失念したが、皆で完走のため「協力しあって行こう」という方のリードで、やがて各クラス交えてボロボロになりつつある7~8名の集団が形成された。皆足にきているのは明らかで、登りになると集団は大きくバラけ、下りでまた一団となる。先行しペースダウンした選手を抜く度に声を掛け、集団を成長させ、先頭交代のサイクルを短くした。このやり方ならゴールまで行けると確信したのも束の間、自分の足が限界に近い。集団走行でペースが上がったせいもあるが、上手に走らない限り痙攣は必至の状況で、やがてコースの左手に海が見えてきた平地区間に入り、平良のCP/SPを目前に切れた。切れた途端に向かい風にも見舞われ苦しい。

3)慶佐次(Gesashi)F-源河(Genka)入口
平良のCPを過ぎるとコースは本島東岸の海岸線を離れ、また内陸部に入り、まずは慶佐次のフィードポイントに少し登る。普段なら何てことない坂であろうが、騙し騙し使ってきた足にはそれでもつらい。つらいのは皆さん同様なようで、先程ちぎられた集団の数名も降って来る。ここで自前の空ボトルを差出し、替わりに水ボトルを受け取る。今度は青アクエリアスボトルであった。先に補給された赤コーラボトルには、フィルムケースで携行したスリーアクションを融かしてあるので、このボトルが今日初の水になる。でも本当は赤コーラボトルを期待していたので、ちょっとガッカリ。

自分は人一倍汗かきなので、水分補給も重要である。水だけを補給していると胃の負担になるばかりか、口の周りの渇きが激しくなることが多い。アミノウォータやスリーアクションなど「切れ」の良いものを好んで使用するが、一般のスポーツ飲料水には水より具合が悪いものも多い。好みのスポーツ飲料か水が一番である。水は筋肉を冷やすのにも好都合で、ここでの補給水は殆どこれに費やす。たっぷり掛けた水が下りで乾燥し温度を下げ、少しではあるがリフレッシュを感じる。

源河への登りは全部で3段あり、2段目が約2.2kmのほぼ一定な登りで、傾斜は恐らく6%前後と思うが、速度はついに10kmを切るようになる。

2段目を登り始めると、期せずして感激の場面、突然後方から市民200kmの先頭集団がやってきた。この集団は既に180km超のレースを消化しているというのに、かなりの人数を残して居り、さらに顔見知りが多く含まれていて、感激である。「奈良ッー、頑張れー」チームメートに声援を送るが、通過が早すぎて聞こえていないようだ。自分も「最後の登りだっ」と、自身に言い聞かせながら淡々と登る。この区間でも、まだ降って来る選手がいてサバイバル色が一層強くなる。

4)名護のゴールまで
最後の下りを終え、源河入口最後のCPを通過したのは12:20頃。スタート後、2時間30分が経過していたことになる。漠然とした目標であった2時間30分台のゴールまで残り10分で、目標達成は夢と化した。それまでまったくCPでの足切りなど意識の外だった。ゴールあるのみで、自分と向かい合って走ってきたせいだろう。下りきった地点にある最後の源河CPを通過する際にボランティア役員から拍手を貰い、初めて完走の権利を得たことに気付いた。精神的にも、残り13kmは比較的得意とする平地なので、一層の元気が出る。

最初の特急は平地区間に入ってすぐ、後方からやってきていた。メンバーはほぼ120kmと200km組で構成されている。先頭交代は上手く廻っていなかったが、自分の足は加減速を繰り返したら危ない状況なので、2~3巡目からは不謹慎かも知れないが後ろの方でヒラヒラさせてもらう。速度は35~40km/hで、列車に乗ってこない80kmや120kmの選手をいとも簡単に抜き去って行く。これは正直複雑な気持ちだが、全行程個人TT状態なので、人より先にゴールしたい気持ちの方が強い。

完全平地の筈であったが、途中ひとつの高架陸橋と、名護市街を目にして○○公園前の登りがあった。陸橋は何とかこらえ、速度も24km/hまで落ちたが、下りで追い付く。さすがに二つ目は列車を降り、見送らざるを得なかった。何とここでは14km/hまで低下し、エンスト直前、万事休す。下りで廻し、少し復活させ、後方からの支援列車を待つ。運良く、次の特急もすぐ後ろに来ていた。今度の列車にはシマノドリンキングの方や日野Rの中山さんらがいる。これにゴールまで乗ろうと決め、最後の力を振絞って加速し、前の方の乗客として乗り込まさせてもらう。火事場の馬鹿力の如く約50km/hでの乗り込みであった。その後一度も前に出ることなく、乗客として38km/h前後の環境を提供されたままゴールに辿り着く。この最終平地区間ではかなり順位を上げたと思うが、これは源河CPを越えた時点では80kmクラスの最後尾付近であったことにもなる。いずれにせよ結果オーライの完走であったが、完走までの過程はこのように際どく、余裕など微塵もないものだった。納得行く走りで沖縄を終えるためには、中~高負荷で長時間耐えられる筋肉が必須である。

レース雑感
・レースの周辺
今シーズンは「チーム物見山」の一員として活動し、メンバーから毎週提供される質の高い練習のお陰で、地足も付いた。沖縄行きについてはチーム内外の経験者から多くのサポートを戴き、本当に感謝している。あらためて、ありがとうございます。

レース前日は早い時間に沖縄入りし、オクマから普久川ダム往復で、レース序盤で重要な登りコースをじっくり試走できたのが大きかった。もしも、ぶっつけ本番で普久川を登ったら今回の完走は無かったかもしれない。

80kmレースでタイム大幅短縮を狙えるのはこの12kmの登りと、高江-平良区間の「これでもかアップダウン約30km」の2区間だけである。次回はどう走れば目標である2時間30分台を達成できるのか悩むところである。

ゴール後に受けたボランティアによるスポーツマッサージでは、不本意にも女学生の面前で、のた打ち回るという失態を演じてしまったが、本当にありがたかった。この場をかりて「国際リゾート・スポーツ科学専門学校」の生徒および先生にお礼申し上げます。ありがとうございました。

・自分にとってTD沖縄とは?
以前は単なる憧れだった。それはシャカリキを全巻読んだ後も変わらなかった。今年は良いチームメイトに恵まれ、彼らのお陰でそれは具現性をもたらし、憧れから実体験に変わった。

そう若くはないし、ホビーレーサーでも遅い方である。特に登りが苦手な自分にとってTD沖縄とは?

JCRCレースの方が苦しいし、高い技術も必要と思う。「何で沖縄まで...」その答えを敢えて求める必要を感じないが、毎週末のトレーニングに駆立てる原動力には十分に魅力的なロードレースのようだ。市民200kmの選手は病みつきになり、大半の120km選手はいつか200kmのために毎年参加している理由が良く判るレースである。

2001.12.31記

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